2017年07月06日

ライターと生き方と。

 今年はブログというインターネットサービスがはじまってから15年目という説があるそうです。SNS全盛期は今もなお進行中なのかもしれないけど、mixiが流行っていた頃からハマらなかった自分には、ブログが一番ラフでいられる場所になっています。

 ブログを書くタイミング・頻度・理由は毎回違うものだけど、長文を書きたい時というのはある。何かを見ようとするわけでもなく、ふっとログインした時に流れるSNSのタイムラインで知った訃報は、書かないと心が落ち着かない大きなコトだった。

 約2ヶ月ほど前のことだ。自動車雑誌の編集スタッフだった頃、一緒にお仕事をしていたライターの正松本宏さんが46歳で亡くなられた。知ったのは、(当時の)編集部の先輩が流していたタイムライン。知ろうと思って知った情報とは違って、流れてくるタイムラインの「死」は、別の国で起きている出来事のように思うときがある。例えどんなに小さかろうとも、死を告げる生声は、ハンマーで頭を叩かれた以上の衝撃と速度で耳を走るが、あきらかに、それとは違う。だから、訃報に関する丁寧な一斉メールも頂いたが、何もできなかった。正松本さんのことを忘れたからとか、今は自動車雑誌に関係していない人間だからとかじゃない。文字も浮かばないし、どの立ち居地で書けば良いのかも分からない。どんな返信をしても、失礼に映る気がした。

 関西が担当地区だったので、毎月、大阪に行っていた僕は、関西エリアでライターをやられていた正松本さんと一緒によくお仕事をさせていただいた。傍から見れば同じように映るルーティーンになりがちな企画でも、何かしら変化をつけたかった若輩者の熱に、いつも応えてもらっていた。

 たくさんのことも学んだ。ライターから企画を預かったらどうするのがスジか、ライターにとって誠意のある行動は何なのか。自動車の世界だけでなく、温泉の取材もされていたので、何をどう地域で取材しているのか、教えていただいたりもした。先輩・後輩とも友人の間柄とも違う、絶妙の距離間で20前半のライター志望の若輩者と接してくれていた。

 最後に会ったのは、ライターにキャリアをチェンジした2006年の夏〜秋頃だった。親父の死をきっかけに「自動車雑誌の編集者を辞める」「ライターになる」「地元に帰る」ことがはじまった僕は、親父が亡くなってから少し落ち着いた頃に「自動車雑誌の仕事を辞めました」と改めて伝えるために大阪に向かった。カメラマンさんにショップの方々、そして正松本さん。お世話になった方々への挨拶……という名目だったのだが……。
「直接会いに来て辞めることを告げた人は、二人目や」
 挨拶まわりの最終日は、正松本さんとのお好み焼きランチだった。その日が自動車の世界から離れる僕の“けじめ”であることを正松本さんは察したのだろう。その時のある言葉は、今も胸の底にいる。
「ライターになることが目標なん? 最終的にはライター(肩書き)にはこだわってないんよ」
 多様かつ無形な進化をしている価値観は、今、もっとも僕の中で鼓動している。
 気がつけば正松本さんの年齢を少し超えていた。

 本当にありがとうございました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 
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posted by SMC at 2017年07月06日10:16 すぎさきともかず | 更新情報をチェックする| このブログの読者になる | edit | ページの先頭に戻る
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